ファンファーレ

オキラクまとめ

欠如

昨今の自粛の波をくらっている。

くらっている、という言い方は品がないかもしれないけれど、くらっているという表現が肉体にダメージがある様で、今の気持ちをよく表していると思う。

趣味娯楽が淘汰され、憤りを感じている間に(中止の要請を受けているのにそのになにも補償がないことに憤っていた)、あれよあれよと日常も失われつつある。

そこで、この機会に小学生の頃読んでいた児童書を読み返そうと、何冊か実家から持ってきたのだが、字面を追うのが億劫であることに気づく。

 

高校までは図書室が充実しており、なかなかの読書家だった。

大学生以降は視覚や聴覚に頼って得る娯楽がメインになってしまい、自分で字面を追う読書から離れていた。

今、読んでいるのは『はてしない物語』。

異国で作られた、想像上の物語。主人公の男の子が本を読み進める中で展開されていくメタフィクションである。

カタカナや情景が浮かび上がり、章の終わりに記される「それはまた別のお話」という一説にまで想像を膨らませることができた小学生時代。

今のわたしには想像力が足りない。

粛々と、戒めて、エネルギーにしよう。

また自由に動き回れる時がきたら、この経験を生かして豊かに生きていける様に。

 

いつにも増して感傷的になってしまう夜更のわたしより。

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この冬

食べて美味しかったもの。

私の覚書です。

 

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新年、初詣に行った時に食べたあんずあめ。

ジャンケンで勝つと2つもらえるのだけど、今年はひとつだった。去年は2つもらったんだったかな。


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下北沢の紅茶屋さんのケーキセット。

ほっこりしたいね、と年末に友達と訪れた初めてのお店。狭い店内に、店員さんが赤ちゃんをおんぶして営業していた。


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大阪で食べたうどん。

有名店。何年も前に難波の地下で食べたおうどんもすごく美味しかったけど、これも美味しかった。卵とちくわの天ぷらは外せない。

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かまくらカスター。

有名なお菓子だけど食べたことなかったので買いました。たっぷり甘いカスタードは幸せの味がする。


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頂いたハーブティー

後味が甘くて本当に美味しい。

ティーバッグをストックしていたいな。

 

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調布駅の前にあるイタリアン。

プロシュート盛り合わせ。

三浦春馬似の学生さんがお母さんと2人でディナーしていてそれを見ながら女子会して楽しかったな。

 

時々更新しよう

美味しいものをおいしいね、と言いながら時間をかけて食べられる喜び

 

エンタメ業界の人

物は熟考して買う方だ、と思う。

例えば財布。前に使っていたものがピンク色の革製品だったので薄汚れてきてしまった。

良いものを長く使う

というのは私の人生において普遍的なテーマなので

これだ、と思うものを見つけるまで長い時間を要した。

思い起こせば去年の2月、中目黒散策をしているときに見つけたお財布に一目惚れをし、何度も手に持って良いなぁと見ていた。

そこでは買わずにいたけれど、その日のうちにお店の本店を調べ(恵比寿と広尾の真ん中くらいにあった)2度くらい訪れ、やはり同じ形の財布を手に持っては置き、持っては置いていた。

それでも買わなかったのは、これだ!という決めてと、勢いが足りなかったからだと思う。

結局誕生月に買えたのだけど、『決めてと勢いが欠けている』感じは未だにある。

手に持ってみても何となくしっくりこないのだ。

早く私に馴染むといいな、一度は焦がれたモノと長く生きていきたいのに。

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そんな私があんまり考えずに買ってしまうものがある。

それはミュージカルのチケット。

観劇おたくなので、ウイルスの影響で中止になっているのが辛い。

仕事でも影響があり、さらに娯楽まで奪われて2月終わりの私は抜け殻だった。

今日から3月、そうは言っても時は進んでいくので、また何かに向かって頑張りたい。

この情勢の中でも公演を続けるところもある。

止めるのが良いのか、続けるのが良いのか、

それは分からない。

良いか悪いかじゃない、そうも思う。

 

春がそこまできている。

 

 

自分の人生に起きたことは豊かなことだった

人生は自ら選択して歩んでいくものだ、という人もいるけど、貰い事故のように不意にやってくる良くないこともある。

 

ぼーっとテレビを付けてたら、NHKの72時間という番組がやっていた。

なんでもないお店に3日間密着して、訪れたお客さんにインタビューをしていく番組。

今回はたい焼き わかば

前見た気がするな、再放送かな、

一般人を真ん中にした番組増えたよな、

と考えながらやっぱりぼーっと見ていたら、

店内で鯛焼きを食べながら本を読む女性が出てきた。

息子さんに鯛焼きを買うついでで、とどこにでもいる母親らしいコメントから始まったけど、読んでいた本は死生学に関するもので。20年前にお嬢さんを亡くして、どう生きてどう死ぬか、を考えるようになったらしい。

 

高校時代に友人を亡くして

大学生の時に先輩が亡くなって

いつも死が近くにあるように考えるようになった。

「死にたい」と思うことはないけど、絶対こうなりたい、こうなってやるんだ、っていう野望も私にはない。

ただ、いつも「生きなきゃ」と思っている。

 

死生学を勉強するようになって、今は前向きになった、というようなことをその女性は話していた。

「自分の人生に起きたことは豊かなことだった」そう、思えるようになった、と話す女性の微笑が何故か胸に焼き付いている。

 

そう思えるまで生きなきゃ。

今はとにかく生き続けよう。

 

その後伊野尾慧の過激な番組が始まって、それもぼーっと観ていたのはまた別の話。

 

 

 

書きたい時に書く場所

11月、初めて北野駅を訪れた。
京都は初めてではなく、もう何度も遠征のたびに出かけていたけど、北野駅を降りたのは初めてだった。
今回もやっぱり遠征のついでだったので、半日しか時間がなかったけど、どうしても行きたい場所があった。

3年くらい、読んでいるブログがある。
それを読むたびに心が落ち着いて、雨だとか風の音だとか、日常を愛せる気持ちになる。
ブログを書いている人が、京都にお店を出したのが2年前で、でも彼女は決してお店の場所や名前を載せなかった。
確かな意思を持って、北欧から集めてくる品物たちは子どもの頃に集めた天然石のように輝いて、キラキラして、ときめいた。
でもお店の場所はわからない。
遠方だから、と諦めていたある日
ブログタイトル お店
で検索すると、あっさり見つかった。

そこで今回の遠征に予定を組み込むことにした。
北野駅の改札を出て地上に上がると空はもう暗くなり始めていた。
駅からそう遠くはない、地図の読める私はすぐにお店の入ったビルを見つける。
看板にその名前を見たときは胸が高鳴った。
ゆっくりと階段を上がり、小さいその店のドアの前に立ち、ゆっくりと開けた。
そこには、ブログで紹介されていた、店主の方が彼からもらったという周年祝いの花が飾ってある。
彼女が信念を持ってデザイナーと相談して買い付けてきた品々がある。
ずっと来たかったこの場所に来ることができた感動が胸に広がり、旅の安心感も相まって少し泣いてしまった。
幸いその時間店主しか店におらず、その店主も検品に忙しそうだった。

しばらく心に広がる温かい感動と向き合って、今度は自分の欲求に目を向ける。
あれも欲しい
あれも可愛い
ああなんて自分は俗っぽいのだろう
今日の格好だってずいぶんとスポーティーでなんだか恥ずかしくなってきた

「散らかっててすみません」
店主が声をかけてくれる。
「あなたのブログを読んできました」
「東京から来たんです」
「憧れています」
いろんな言葉が頭の中を駆け巡ったけど、先述したように俗っぽいなと思って言うのはやめた。

忙しいはずの彼女が丁寧に説明してくれたコンパクトを自分へのプレゼントとして買った。
インポート、さらにビンテージのそれは決して安い買い物ではなかったけど、持っているだけで店を訪れた感動を思い出させてくれる気がした。
彼女の大切な思い出を借りたような気がした。
絶対無くさずに、毎日持ち歩いて、必ずこの店にまた戻ってこよう。
派手じゃないけど美しい手鏡が似合うような女性になろう。

たくさんの思いをくれたその店を後に、京都の街を夜ご飯を求めて2時間歩いたのは、また別のお話。

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